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レポート

地券

_0013440h.jpg地券を知っていますか?地租改正条例は発布され発行された土地所有証書のことです。

地券

農業全書

_L7I4691h.jpg農業全書を知っていますか?
農業全書は、元禄10年(1697年)刊行された農書です。全11巻あり、1巻から10巻は、元福岡藩士の宮崎安貞の著で11巻は貝原益軒の兄貝原楽軒の著で付録です。明治に至るまで何度も刊行され、水戸の徳川光圀も、「これ人の世に一日もこれ無かるべからざるの書なり」と、絶賛し、八代将軍徳川吉宗も座右の書に加えたほどです。現在でも岩波文庫から出版されています。
1巻.農事総論 2巻.五穀之類 3巻.菜之類 4巻.菜之類 5巻.山野菜之類 6巻.三草之類 7巻.四木之類 8巻.菓木之類 9巻.諸木之類 10巻.生類養法 11巻.付録
我が家に現存するのは9巻と10巻です。

農業全書

ハッピー・ボーン

「ハッピー・ボーン」のことを知っていますか?
北海道の愛別町で行われている企画です。

突然打ち上げられる一発の花火です。
たった一発の花火なのですが、この花火が上がると町のあちこちで、手を止めて「おめでとう」と話し、そして「男の子かな、女の子かな」などと語り合っています。
そう、この町では、子どもが生まれたら1発の花火を打ち上げて祝うそれが「ハッピー・ボーン」なのです。

ことの始まりは、1990年の宴席のことです。「きのこの里フェスティバル」の実行委員の懇親会で、メンバーの一人に子どもが生まれると聞いた中田さんが「花火で祝ってやるかい」と声を上げた。仲間の声が続いた。「それならさ、愛別で生まれた子どもみんなに上げてやろうや」とそして1990年3月に1発目の花火があげられました。

その子供はすでにハタチを超えていると思います。立派な社会人になって地域の温かさを次の世代に伝えていってくれることでしょう。

各地で行われている花火大会はとても華やかなものだと思います。しかし、この「ハッピー・ボーン」は、どんな華やかな花火大会より温かさを感じる花火だと思います。たった一発の花火ですが町中が嬉しい気持ちで包まれるでしょう。そして、生まれてきた子供は、町中の人たちに祝福され大切にされることでしょう。

北海道愛別町
愛別町花火

東京大空襲

東京の家系図(除籍謄本)調査では、1945年(昭和20年)3月10日が障害となることが多いです。この日は東京大空襲の多くの民間人が亡くなるとともに除籍謄本や多くの資料が焼失したことでしょう。

東京は、1944年(昭和19年)11月14日以降に106回の空爆を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月25日の空襲は大規模でした。通常「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きかった1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多いです。

北方4島の土地登記簿

_L7I1364h.jpg北方4島の土地登記簿も手に入るんですね!

2010年5月3日撮影

カタバミ

_L7I3655h.jpg家紋に使われている片喰(カタバミ)、よくクローバーと間違えられますが、異なる植物です。片喰はカタバミ科の植物で黄色い花を咲かせます。花言葉は「輝く心」です。
一方、クローバーは和名を「白詰草」といいマメ科の植物です。クローバーは白い花です。

片喰は繁殖力が強く一度根付くと絶やすことが困難であることが「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では、子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋として用いられています。
当サイトのトップページは丸に剣片喰です。

北方四島住居地図

_L7I1370h.jpg道東旅行中、ぶらり立ち寄った資料館で北方四島の住宅地図を発見しました。資料館の方の説明では、昭和20年時の住居地図とのことでした。

2010年5月3日

和田屯田兵村被服庫

和田屯田記念館

_L7I1317h.jpg北海道指定有形文化財に指定される。屯田兵村の衣類を保管する被服庫です。1885(明治18)年頃建築 木造1階建。

和田屯田兵村は、明治19年(1886)6月東和田に220戸と、西和田に明治21年5月120戸と22年100戸の合わせて220戸が、それぞれ入地してできました。

この建物は、和田屯田記念館として公開されていますが、土日祝日は公開されていないようですので内部を見学されたい方は事前の確認をお勧めします。

所在地 根室市西和田568-2(JR西和田駅から徒歩5分) 見学情報 一般公開



細川家系譜

_0010792h.jpg足利義季から光尚までを記載した細川家の系図

2010年5月16日
国立博物館 本館16 特集陳列 「戦国大名と細川家」

大銀杏倒れる

実朝暗殺の舞台

_0010583h.jpg鶴岡八幡宮の大イチョウが今年3月10日に倒れた。
大イチョウは八幡宮のシンボルとして親しまれてきました。


yoritomo.gifこの大銀杏は2代目とされており、建保7年 1219年 1月27日 源実朝が鶴岡八幡宮で公暁に襲われ落命した舞台で、公暁が大銀杏に隠れていたとも伝わる。